防災訓練(Part3)

講座・イベント

「避難所に戻りたい」
そう遺書に書き残し孤独死を迎えた被災者の真意とは?

令和5年1月に北木西地区で行われた防災訓練。今回はゲストにお招きした天野和彦特任教授(福島大学)による震災関連講話の模様です。

天野教授、3.11後の避難所を語る

消火器訓練後は会場を北木小学校体育館へ移し、震災関連講話の時間となりました。

講義には小学生も参加しているので、天野教授は平易な語り口とスライドで説明していきます。

東日本大震災の時は福島県の自治体職員だった天野教授。
避難先となったスポーツ施設に派遣されたことや、被災者の間でノロウイルスが急速にまん延していった惨状などを語ります。

危機管理部や消防組合の職員さんたちの参加は任意としていましたが、どちらも残って聴講しています。

長丁場となったので、途中で休憩をはさみます。
会場に設置したストーブを囲み暖を取る、天野教授と北木小学校の児童たち。

「避難所に帰りたい」 いったいなぜ?

後半は天野教授の語り口もヒートアップし、避難~復興期における地域コミュニティの重要性を説いていきます。

教授が事例として紹介したのは、阪神大震災後の仮設住宅生活。
その中で、「避難所に戻りたい」と書き残し自ら命を絶った一人暮らしの男性の遺書が紹介されました。男性はなぜ、「必要最低限のモノは揃っている仮設住宅」暮らしに絶望し、「人が混み合ってプライバシーも存在しないような避難所生活」に戻りたいと思ったのか。教授はそこに「コミュニティの有無」を指摘します。

阪神大震災後の避難所生活の様子。神戸市のWEBサイトより。
阪神大震災後の仮設住宅の様子。神戸市のWEBサイトより。

避難所は個人のプライバシーの確保も難しい空間ですが、隣り合って暮らす避難者どうしでコミュニティが醸成されていきます。ところが、ひとたび仮設住宅として個室が与えられると、人と人どうしの繋がりが薄くなってしまいます。(仮設住宅に一人で暮らす50代・60代の孤独死の割合が高く、内閣府のレポートでもハイリスクグループとみなされました。「死亡者の多くは、無職または不安定なパート労働者だった。自宅への閉じこもり・対人関係の断絶により、過度のアルコール摂取、不十分な栄養、慢性疾患の放置などの結果が孤独死となった」(同レポートより)と指摘されています。)

先ほど遺書を紹介した男性も、「隣は何をする人ぞ」な仮設住宅暮らしを続けるくらいなら、雑魚寝暮らしでも話し相手に困らない避難所生活を望んだのでしょう。
上記のようなケースを少しでも減らすため、天野教授は「対人関係の断絶による震災関連死」に警鐘を鳴らし、予防・解決策として「地域コミュニティの強化」を提唱しています。

教授がコミュニティの力として挙げたのが、熊本地震後の二つの避難所。
一方は「地域住民みんなが顔見知り」という村落地帯に位置し、避難者たちも比較的穏やかに過ごしています。
もう一方はベッドタウンとして近年急発展した地域に位置し、妊婦さんの横で「食事はまだなのか!?」と声を荒げる男性がいるなど、殺伐とした雰囲気が漂っていたということです。

悪い方向に働けば「相互監視」・「プライバシーの侵害」などにも繋がる田舎の濃密な人間関係ですが、震災後の避難所のような非常時には「おたがいさま精神」を発揮し、(比較的)ストレスを溜めることなく過ごせる利点もあるようです。そういう意味では、北木西地区も非常時に威力を発揮するコミュニティを維持できていると言えるかもしれません。

「人を癒やすのは人」

天野教授は続けて、避難所でのレクリエーション活動として「足湯サービス」と「(被災当事者による)トークカフェ」を紹介します。

福島県社会福祉協議会のWEBサイトより

同じ境遇の者どうしで言葉を交わしたり、足湯サービスとマッサージの施術を受けながらボランティアスタッフと話したりしていくうち、被災者さんたちの顔から固さが取れていくそうです。

「結局のところ、『人を癒やすのは人』なんです」と、天野教授。

未来の世代は「ふるさと」に何を思うのか

最後に、会場の小学生たちに向け、天野教授は「ふるさとを大切にしてほしい」と語りかけます。

家族・親族の区別なく、島の爺ちゃん婆ちゃんたちから可愛がられている北木島の子どもたち。
今回の講演を聞き、彼らはふるさと北木島について、どのような思いを抱いたのでしょうか。6年前、地縁血縁も何もない北木島へ移住してきた僕にとっても、興味の湧くところであります。

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